2018年6月25日月曜日

心配されすぎ人生 昆虫放浪記 台湾編 〜線から点へ〜 その5

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高雄まで向かう新幹線

新幹線は新竹市に停車した。
思いのほか下車したした人が多く、僕の目の前の席が空いた。

座れてよかった。
コンビニで買ったおにぎりを取り出し、食う。
そぼろがボロボロとこぼれ、カバンの奥深くへ沈んだ。

窓の外を眺めながらここ何時間かのことを考えていた。

正直なところ今回はリサーチをしすぎたように思う。
行き当たりばったりのドキドキ感がなかった。
リサーチせずとも、いざとなれば筆談で聞けばよかったのである。

そして、リサーチをした割に荷物の準備をしなさすぎた。
飛行機に乗り込む時の高揚感もなく、近所の山へ虫撮りに出かけるような感覚が抜けなかったのである。
準備するときのわくわく感を味わう、というのを完全に放棄していた。

旅は準備をするところから始まるものであるよ。


やはり電車は眠りやすいのか、
気がついたら高雄(左營駅)に到着してしまっていた。


寿山国家自然公園へ

高雄で1泊するか否かで相当悩んだが、通過するだけに留めた。
せっかくなので、左營駅周辺を探索することにした。

こんなところにも三越があるんだなぁ。


すげえポスターだったので何となくパシャり。


ちょっとした小道には牛の置物が。


なんなんだこいつら。




三越のフードコートで腹ごしらえをしたあと、
寿山国家自然公園へ向かった。

公園へ向かう道中に民家があった。
民家の前には野犬らしき物体がタムロしていた。

台湾で野犬に噛まれた人が亡くなっただのそういった話をオカンから聞いていたのでルートを変えて回り道することにした。


心配されすぎると何かが拗れる?

男子にしては過保護に育てられたように思う。
まぁ大事にされて育ったとでも言おうか。

そんなに悪いことをした覚えはないのであるが、かなり心配されながら育ってきた気がする。
怪我するから木に登ったらいけませんよ、とか危ないことしちゃいけませんよと散々言われた。

愚直にも僕はオカンの言いつけを守り、木にも登らなかったし危ないことは何一つしなかった。(多分)
オカンに何か言われるからという理由で、挑戦をしなかったことが結構あったように思う。

そりゃただ単に自分に言い訳してるだけでしょ?という人もいらっしゃるであろう。

半分正しくて半分違うと僕は言いたい。
流石に大人になってからいつまでも人のせいにするのはみっともない話であるが。

あまりにも心配されすぎると、挑戦する意欲を失わせてしまうことにもなると少し思う。
何をするにしても心配されるので、その「心配される」ことが面倒だと感じるようになり、結果として挑戦すること自体が億劫になってしまう。

必要以上に心配してその人の可能性を削ぐようなことがあってはいけない。


時と場合に依るのかもしれないが、
心配することはその相手に対して信頼をしていないことと同じでもある。信頼していないから心配しなくていいようなことまで心配する。

いろいろと人の心配するのもいいが、もしもがあった場合にどういう立ち回りをするべきかという話をする方が建設的だとは思う。

心配されがちな人は、もしもがあったときの立ち振る舞いを、心配する人によく言って聞かせるべきなのかもしれない。

結局のところ、「もしも」のリスク回避を論理的に考えず感情的に捉えてしまうのが心配ってものだ。

と、最近スズメバチに襲われそうになった僕は考えた。



まあ流石に校舎の2階から飛んでやるぜみたいなことをする奴を心配しないのはおかしな話だが、それはまた別の問題ではある。

2018年6月13日水曜日

においについて考える会。 昆虫放浪記 台湾編 〜線から点へ〜 その4

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高雄まで向かう新幹線

さて、SIMカードを手に入れた後、僕は新幹線(台灣高鐵)で高雄へ向かうことにした。
ほぼ徹夜状態でお腹が減ってしまっていたので空港のバーガーキングにでも寄って何か食べてしまおうと思ったがやめた。
徹夜のジャンクフードほど胃に悪いものは無かろう。

桃園空港から新幹線桃園駅までは少し距離があるので、電車に乗り込む。
台湾だと結構駅構内は飲食禁止だったりするので、改札へ入る前に水分補給をしておいた方が良い。夏場とか辛そうだ。


新幹線桃園駅に着いた。
空腹を満たすためにコンビニへ。おにぎりなるものがあったので買う。お味は肉そぼろ。
日本でも売ってそうなやつだ。

駅構内はどうやら飲食okならしく、おやつやらなんやらが売られていた。

新幹線に乗る人の列。うむ。
なるべく体力の回復を図りたいが、これは立ったまま高雄まで2時間我慢せねばなるまい。
1本見送って次のに乗ろうかと思ったが、30分に1本とかそんなもんなのでさっさと乗ることにした。

新幹線がやってきた。
ほお、日本製なだけあって日本のとそっくりである。
(写真は帰りの新幹線。大事な外観の写真は撮り忘れた...)



台北で多くの人が乗ったのだろう。桃園駅へは満員での到着だ。
通路にも人がたくさん。
ぐぬぬ。
マイリュックサックが結構でかくて邪魔になっている。
そして、隣りのおっちゃん汗臭い...。

においについて考える会。

まこと匂い(臭い?)に厳しい社会である。
しかし僕自身もにおいには厳しいかもしらぬ。鼻が効き過ぎるからである。

これから夏場である。
満員電車の汗のにおいが気になる季節。

つり革を持った腕の脇がガラ空きだ。
そこに鼻の高さが丁度僕の脇にあたる女性なんかが来る。
申し訳ないと思いつつ、そっと脇を閉じる。

自分の脇は果たしてどれぐらいにおうものなのか。
鼻を近づけてようやくにおう、という状態であっても周りの人からしたら結構におっているものであるのかもしれない。
自分の身体のにおいを常に嗅いでいる状態でもあるから、鼻は完全に麻痺しているといっても過言ではない。

気休めとしていろいろボディーペーパーやら制汗スプレーなんか撒いたりしているが正直のところ本当に効き目があるのかはよくわからぬ。撒いた以上に汗をかいてしまうのだ。

いっそのこと香水でもブチ撒いてやろうかと思う時もあるが、香水のにおいが僕はあまり好きではない。

まして昆虫ハンターたるもの、香水でにおいを撒き散らす訳にはいかない。
スズメバチが寄ってくる来たりすることもあるからだ。


においにもっと大らかな時代に生まれたかったが、これだけ制汗スプレーが普及してる以上、僕はこの時代を迎合するしかないようである。

2018年6月10日日曜日

ツレが痴漢に遭いまして その1 男尊女卑社会

以前、昆虫放浪記マレーシア編で以前女性専用車両に乗ってしまったという話を書いた。

それに付随して、かなりライトな感じで男女平等とはなんぞやみたいな持論を展開してしまったのであるが、
最近、逃げ去っていく痴漢が捕まえられるのを目撃したり、身近な人が痴漢に遭ったりしたので、改めて男女平等について考えたいと思う。
結構デリケートな内容であるので、考えが変われば定期的に書いていきたいと思う。


男尊女卑社会日本

日本はかなりの男尊女卑社会である。
平成の終わりの年を迎えてもだ。

ここ最近に起きた象徴的な出来事といえば、大相撲の土俵で人が倒れた時に女性は上がらないでくれとアナウンスされた事案だろう。

伝統だから、という理由でナチュラルに女性差別をしている。そこに罪の意識はない。


僕もナチュラルに女性差別をしていた節がある。
マレーシアの記事で、男性の権利が脅かされていないだろうか?とまで書いてしまった。
女性専用車両の本質を理解しようともせず、「専用」という言葉だけに目がいって批判し、女性専用車両に乗り込む男性YouTuberを英雄視していた。


考えは、変わった。
身近な人が満員電車で痴漢されたという話を聞き、僕は憤りを覚えた。

痴漢する者の心理として根底にあるのは女性に対する差別意識だろう。

また、痴漢に対しての考え方が甘い男性が多いようにも思える。
「痴漢なんて勘違いで、別に減るもんじゃなし、ちょっと触られただけだろ?」
という考え方だ。
僕もその人に話を聞くまでは少しそう思っていた。

しかし実際には下着の中まで手を入れられたらしく、
勇気を振り絞りやめてくださいと言い、事なきを得たという。
その時の恐怖は如何程のものだっただろうか。

僕は痴漢した男を絶対に許さない。


女性に対しての尊重というものがもしかしたら日本人男性は欠けているのかもしれない。

その最もたるやが数兆円の市場規模を誇るポルノ産業だろう。
多種多様なジャンルがひしめき合い、あらゆるシチュエーションを網羅しているが、そこに人間の尊厳といったものなどはない。

女性を尊重するということを忘れ、ポルノを見ることで現実逃避をする男が多過ぎるのだ。


......。
という感じで、怒りに任せ自分のことを棚上げして書いたのであるが、僕はふと冷静になった。

本能としての性と理性という視点、社会的な男女の視点、
それらの視点を混同してしまっていたのかもしれぬ。

人間が本来持っている欲求に対する適切な処理の問題と、実際に罪を犯すことや社会的な反応などの問題は分けて考える必要がある。


少し距離を置き、本能としての性と理性から痴漢について考えようと思う。


つづく