2017年10月29日日曜日

森林研究所までナンまいる? 昆虫放浪記 -コノハムシを捕まえろ- その9 第2日目②

前回の記事はこちらから

ケポンをぶらり

誤算である。

森林研究所へはケポンセントラル駅の方が近かった。
しかし僕は何故かケポンセントラル駅一歩手前のケポン駅で降りてしまった。
歩いたほうが早いとでも思ったのだろうか。

とはいえ旅に出たら、まっすぐ目的地へ向かうよりも寄り道をする方が楽しいものである。


早速出くわした。


タテハモドキという蝶であるが、九州あたりでも見られるらしく広く分布している。
(多摩動物公園に行けばいっぱいいるぞ)
天然物は初めてだったので嬉しい。



黄色いやつがいっぱい。


カメレオンみたいなトカゲ。


ケポンの街を歩いていてわかったことだが、
マレーシアは思ってる以上に裕福だ。
そこらへんを歩く人の多くがスマートフォンをいじり、東南アジアといえばバイクだろ?っていうイメージを壊すぐらいバイク乗りが少なく車の方が多い。
タパーという町を歩いた時(滞在5日目)にも、ここは電気通ってんのか?っていう村ですら立派な車が点在していた。


多分結構裕福な住宅街。
でももしかしたらこれが中流階級なのかもしれない。



森林研究所まで何マイル?

道というものは途切れることが無い限り、どこまでも歩けるものである。
途切れることがなければね。


ここはまだ歩道が存在した。
歩道は続くものだろうとタカをくくっていた。


歩道が無くなった。
僕は車道を歩かねばならなかった。

ゴミいっぱい落ちてる...
排水溝の蓋、壊れてる...
歩きにくいぜ...
うぉーい、清掃屋と土建屋がんばってくれぇい


車道を歩き続けたので、腹が減った。
飯屋を探そう。


ナンにありつけていなかったので、ナンを食う。今日こそ絶対にナン。
写真中央のインドカレー屋に入った。

緑の服を着た兄ちゃんが出迎えてくれた。
まったく何を話しているのか理解ができない。
僕が「メニュー、メニュー」というと
?みたいな顔をする。
うーん、うーん、と僕がうなっていると周りの客も変な目で僕を見る。

どうしようもないので、外の看板にある料理の写真をスマホで撮影し見せる。
「あい、うぉんと、とぅ、いーと、でぃす」
緑の兄ちゃんは何か思いついたように奥へ引っ込んでいく。

すると赤い服を着た兄ちゃんが出てきた。
スマホの写真を見せながらこの兄ちゃんにもう一度同じことを言った。
「おうお前、これ食いたいんか?」
「いぇすいぇす」
「適当なところに座ってくれや」
赤の兄ちゃんは英語が話せた。

僕は店の奥のテーブルに座り、マリオブラザーズの様子を観察していた。

ルイージがこっちを向きながらマリオに何か話している。
マリオが僕に話しかける。
「これ辛いけど大丈夫かぁ?」
「うん(多分)」
ルイージは何故かニヤニヤしていた。

「ナンにこれ入れるか?」
「ナンなんだそれは?」
マリオが僕に謎の物体を見せてきた。
「岩塩?」
「砂糖や」
「砂糖か。要らぬ。」

「ナンは切るか?ちぎって食うか?」
「切ってくれい」

こんな感じの会話をしていたらナンとカレーが出てきた。


ルイージがマリオに何か必死に訴えている。
「お前それだけじゃ絶対辛いから何か飲みなさいよ」
と、マリオ。
「そんじゃぁ、ミロくださいな」

カレーはそこそこ辛かったが、うまかった。
ルイージの方に目をやるとまたニヤついていた。

うむ。結構おなかいっぱい。
お値段ざっと200円ほど。
安いなぁ。

「お前、どっから来たんや」
「日本や」
「何しに来たんや」
「写真を撮りに来たんや」
「またマレーシア来たら、ここに来てくれよ」
「ああ!もちろん!」

僕は再び森林研究所へと歩き始めた。


2017年6月13日火曜日

ナンパ論 その2 教養について

ナンパ論その1はこちらから。


みなさんは『テレクラキャンノンボール』というAVをご存知だろうか。



ざっくばらんに説明すると、AV監督たちが車やバイクに乗り高速道路を競争し、
女性が観ると結構腹を立ててしまったりする部分はあるかもしれないが、
シリーズ化されてて何本か出てるみたいなんだけれども僕が観たのは

様々な都市でテレクラ使ったりナンパしたりして一般女性とうんたらかんたらして点数を競い合うみたいな内容だ。

正直おもしろい。
人間の性(さが)というか男の性というか色々なものがムキ出しで、
AVって一括りにするんじゃなくて一つのドキュメンタリーとしてかなり見応えがある。

『テレクラキャンノンボール2013 賞品は神谷まゆと新山かえで』
ツタヤのAVコーナーで中古品500円で置いてあったので購入。
全部観終わるまで10時間ぐらいかかった。(2時間にまとめた劇場版も出てるよ)
欲しい方はこちらからどうぞ。
http://amzn.asia/bfeNlar

長かった。

滅茶苦茶笑った。
そして少しホロリとした。

なんの話だ...?



話を戻そう。

これはナンパ論の話である。

『テレクラキャノンボール2013』に登場した、とあるAV監督がいる。

ビーバップみのるという監督である。

熟女とかそういったジャンルを中心に制作しているらしい。
残念ながら(?)僕はビーバップみのるの作品を観たことがない。
(趣向が・・・モゴモゴ

そんなビーバップみのるであるが、
『テレクラキャノンボール』での彼の一般女性を口説くテクニックがすごい。

ええ、マジで・・・?
みたいな女性を彼の独特な口説きテクで落としてしまうのだ。

しかし口説くシーンを観る限りテクニックと言っても
そんなに難しいことはしていないようだった。

女性を笑わせているのだ。

笑わせるといっても芸人のような難しいことは何もしていない。
彼の深い教養によって女性を笑わせている。


教養は大事だ。
教養を身につけろと人はよく言うが、なぜなのか?

自分の知識をひけらかすために教養を身につけるんじゃぁない。

例えばの話。
夜空が綺麗に見える場所に女性と二人きりでいたとする。
その女性は「月が綺麗ですね」と言う。

この場合、教養のあるなしで結末が違ってしまう。

教養のある男性であれば、そのまま手を繋ぎ女性の目を見てうんたらかんたら。
教養のない男性は、「ああそうだね」と答えて「ロマンチックなこと言う子だなぁ」なーんて思いながら、この聡明な女性に「バカな男ね」なんて思われて、次のデートの予定はもう無い。

あとは会社とかでガンダム好きの女上司がいたとする。その人にもし、
「軟弱者」
と言われたとしても教養のある人であれば、
「この人はガンダムが好きなんだなぁ」
ってだけで終わる。(わけわからん例えになってしまった)

いずれにせよ教養を身につけていて損することは絶対にない。


教養あるかないかってのはどこで判断されるかといえば、
やはりその人が使う言葉らしい。
他人から見た「私」ってのは言動でしかわからないからね。

「小説を読むって行為はただの娯楽だからあまり意味がない」
という意見をたまに目にするが、
読むという行為によって確実に語彙が増えていく訳だから意味が無いことは絶対にない。
しかしながら小説で使われてる語彙レベルを判断してどれを読むか選ぶ必要はあるかもしんない。(一時期流行った「恋空」って小説で語彙が増えるか?という話。何かのネタにはなるけど)


今回の結びとして、 教養のために教養を身につけるとかじゃなくて、
ざっくばらんに言うと
モテたけゃ教養を身につけなさいよ!
と僕は声を大にして言いたい。
(お前はどうなんだよって質問は無しです)


大変ためになった本があったので、ご紹介しておきます。


次回は具体的にどうやってナンパを成功させるか真剣に考えてみたい。

2017年5月30日火曜日

余生について

虫の湧く季節になった。

昆虫の写真撮るの難しいなぁ無理だわとか思っていたが、何気に去年あたりからちょいちょい撮影をしていた。実は。

綺麗な蝶の写真を撮りたいと思って森へ行く。
元気な蝶は動きが早すぎて撮るのがかなり難しい。
木に止まった、カメラ構える、ピンと合わせる、あれ?いない
というパターンが多い。

一転して、撮るのが簡単な蝶がいる。
羽がボロボロになりかけている蝶だ。


動きがゆっくりで頻繁に木に止まる。近づいてもあまり逃げない。
もう先が長くないのだろう。


「生きる」ということは同時に死に向かうことでもある。

どこかで誰かが言っていたことだが、
自分の一生を時間単位で表してみろと。

僕は今26歳だ。
あんまり長生きする感じはしないので50歳で死ぬと仮定する。

残りは24年。
日付単位にすると24(年)×365(日)=8760(日)
時間単位にすると8760(日)×24(時間)=210240(時間)

たったのこれだけである。
しかも睡眠時間を加味していない。

長いようで短い。1分そして1秒と死へ向かっている。

病気や事故で死ぬ場合もある。
そう考えると上の時間よりも短い可能性は高い。

人間というものは死という壁に囲まれた場所を這いつくばって存在してると言えるらしい。その絶望的な運命を積極的に引き受ける生き方をするべきじゃないんけ?
ってのがハイデガーやらニーチェやらその類の人の言ってることだった気がする(うろ覚え)


しかしである。
僕が普段考えていることと言えば、今日の夜のおかずどうしようとかそんなことだ。


日本は死の臭いがしない。
日本人の価値観として死は穢れであり極力排除したいものだと言える。
311の報道なんかもそうだったろう。

だから普段何気なく生きていると、死とは縁がないように思えるし、自分がリアルに死ぬなんてことを考える機会は滅多に無い。(もうちょっと若いときは死ぬってなんだろうとか結構考えたけど意外と自分って生きてるもんだなぁ、みたいな...)

外国で飛行機が落ちました。
ニュースキャスターは嬉しそうに乗客に日本人はいませんでした。
僕は何を思えばいいんだろう。
そんな夜は会いたくて会いたくて〜君に会いたくて〜

って感じなのだ。
本来僕らは死と隣あわせで生きているはずだ。
老後に備えて...なんて価値観は本来ばかばかしいものかもしれない(年金払いたく無いだけ)



つい先日、日本で働く同い年の韓国の友人と北朝鮮のミサイルについて話した。
もし戦争になれば彼は国へ帰って戦いに行かなければならないという。
冗談ばかり言う人なので、まさかと一笑したが
彼はこれは冗談じゃないよと言った。


残された時間は少ないのかもしれない。

2017年5月13日土曜日

ナンパ論 その1 話しかけることについて

街を歩いているとナンパ師という者をよく見かける。
新宿渋谷を歩いていると特に。

「いかにも」な服装を身にまとい、「いかにも」な言い回しを使って女性に声をかける。
よく心がヘシ折れないもんだなぁと思う。

カット割りを入れないとまともに話の繋がりがわからないような僕のような人間には到底ナンパなど無理な話であるよ(詳しくはyoutube見てね。宣伝)


一体どんな感じで話してんのかなと思い、ナンパ現場にさりげなく近寄ってみた。
「いかにも」なナンパ師と、声をかけやすそうな「いかにも」な若い姉ちゃんがそこにはいた。

ナンパ「髪はいつ切ったんですか?」
ちゃんねー「先月ぐらいです」
ナンパ「すぐ近くに僕の働いてるサロン・・・」

・・・サロン?

美容師だった。
いや、美容師ならもっとナンパ師っぽく無い服着なさいよ・・・。
警戒されるだろうよ・・・。

そんな出来事があった日の夜、僕は美容師にナンパされ髪を染めさせられてしまったのである(これについては後日。多分)


ナンパのポイントは話しかけるところにあるようだ(北山考)

いきなり
「すみません!ちょっと時間ある?お茶しません?」
なんて言われてお茶しようなんて人はいないだろう。(いたらすみません)


世界の果てまでイッテQの、
出川が海外の街に放置され、たくさんの外国人に話しかけてミッションを達成する
「出川はじめてのおつかい」という企画があるのだが、
出川のコミュニケーション能力の高さがスゴすぎる。
何がスゴイかと言えば出川の話しかけ方だろう。

「えくすきゅーずみー」
というぎこちない英語で話しかけたらすぐに
「これ、なに⁉︎どこ?」
みたいな感じでいきなり話しかけるのだ。

いきなり話しかけるから無視できなくなるそうで。
出川と一緒にロケに行ってる河北麻友子や堀田茜は質問するときに
「すみません、少し質問していいですか?」
と英語で尋ねるから無視されてしまうようで。

いきなり本題に入れば人は絶対無視しない
というのが出川流の話しかけテクだそうな。


とはいえ出川の物怖じしないでガンガン人に話しかけるとこがやはり一番スゴいのだ。
企画上話しかけないと始まらないというのもあるがね。

ナンパで置き換えて考えると、
ナンパが成功する確率ってのは100人中1人とかそんなもんなのかな?
街で見知らぬ人に声かけられてお茶しに行くか?って胸に手を当てて考えると
まあ行かないよねぇって思う。

安心してください。
人に声かけて上手くいく可能性なんて皆無なんです。

だからガンガン人に声をかけましょう。(暴言

そもそも最初から上手くいくっていう考えでナンパするからショックを受けるわけで。
そんなおこがましいこと考えてちゃあ成功はしないですぜ兄貴。
(さんまが言ってたことを脚色)


ということで、
次は具体的に何を話すかについて考えたいと思う。
予想以上に長くなってしまいそうなので次回!



今日のおさらい
・時間あるか?とか聞かずにいきなり本題に入る。
・物怖じしない。そもそも成功なんてしないんだから一々凹むな。





2017年5月8日月曜日

タイトルが定まらない件

ブログのタイトルが定まらない。

最初は映画評論とか書いてたので
普通に「北屋真暁の映画レビュー」みたいにしていた。
(北屋真暁という名で活動しようと考えていたが郵便にこの名前を書いて僕に送ってしまった人がいて、僕が本人確認ができずややこしい事になったので結局本名でやる事にした)

そんで昆虫の写真ブログでも始めようと思ったが、なかなかハードルが高い事に気がついて銅像の写真でも撮ろうと考えて「彫刻ハンターへの道」というタイトルを考えた。
(2回ぐらいで終了)

YouTubeで英語を喋ろうという事で「英語でゲーム実況がしたい北山」
というタイトルを考え、

ついに「脱ダメ人間への道」となった。
のである。


コンテンツを充実させる為には色々試す(色々手を出す?)事が大事であって、
一つのモノをひたすら目指すんじゃなくて、色々やってみてとある境地に到達する事が大事であるよと。
かの有名な映画監督、小津安二郎も最初から娘をお嫁に出す話ばかり撮ってなくて、エロ神のうんたらかんたらっつう映画を撮っていたんだと。
そんなようなことを現在の鬼才映画監督、園子温が自伝の中で書いていたような気がしております。

なんだか前にも書いたような気がしなくもないが、
とにかく僕はやりたい事が多すぎる割に飽きっぽいという致命的な欠陥。
(例えて言うならばバイキングで色々料理を取ってくるは良いが、一口だけ食べて全部残すとかそういう話)

まあそんな事もあって、YouTubeの動画をあげるチャンネルも4つ開設しちゃったという。

暇だったら見てね(宣伝)



脱線しまくったが、

僕はダメ人間である。(多分次回詳しく書くかも。気が変わるかも)

正直、今どうにかしないと今後マジで人生詰む。
(30にして寝る、という言葉がぴったりんこ)
頑張れアラサー男子!頑張れ真央ちゃん世代!

まあそんな自戒を込めを込めたりなんやかんやで、
「脱ダメ人間への道」としました。


今後の方針としましては、
ダメ人間克服への道とか、
たまーに映画レビューだとか、
駄文をグダグダと書き連ねてみようかしらとか思っております。
(カテゴリー分けして見やすくしろって話ですね・・・)



2017年5月3日水曜日

私が創作をサボることについて

私は怠惰な人間である。
時間や手間のかかることは大嫌い。
やろうと思ったことは大体3日ぐらいしたら飽きる。(ブログの更新頻度を見ておくれ)

「嗚呼これやりたいな」
ということが多くて色々なものに手を出すのだが、なぜかやろうとしたことに時間を割くのがもったいないと思い始めてしまう。
沢山やりたいことがあるので、やりたいことは取捨選択したいとは思うが、
取捨選択した結果、余った時間はボーっとするかスマホかジョニー弄ってるかなのである。

仕事以外で時間を費やすもの、それすなわち趣味と定義づけるのであれば
私の趣味は昼寝かネットサーフィン(波乗りジョニー?)。

まあ昼寝とサーフィンを抜きにした趣味といえば
映画やら写真やらなんやらっつう自己表現なのかなという感じ。(黒歴史がいっぱい)
何で自己表現したいと思うようになったのかはよくわからん。
(静かに暮らしたいと思う反面、めっちゃ目立ちたいとか考えてるからかも)

あ、これやりたいな
って思ってYouTubeなりなんなりやっているわけであるが、
しばらく続けていると初期のような
「うおー、100回再生だー!」
みたいな感動もなんだか薄れ、
何でこれやってんのかな?みたいになってくるものであるよ。

昔から自己表現やってて陥るパターンとして、

最初は自分のために作る。
自分のために作った!よっしゃ!満足!ポイっ!

というパターンがあまりにも多すぎる。

人に見せる、認められる、続けるっていう回路が欲しいのであるが、
人に認められるとこにたどり着く前に自分で満足しゃちゃって結果サボる。

かといって人に認められるために自己表現をしてるわけじゃあない。多分。
いや、違うなこれ。
人に認められたくてしょうがないんだけど、認められるとこに達する前に心が折れてるだけかもしらん。

じゃあ人に認められた先に何があるというのか?
人に認められたら満足なのか?
(そこまでたどり着いてから考えなさい私)


創作とは最終的に自己満足の世界であるかもしれない。


創作をずっと続けられる人というのは多分自己満足の閾値が高い。
人に認められるというのがゴールじゃないからだ。
ずっと欲求不満の自分を満足させるのがゴールなのだ。


かの偉大な喜劇王は
「あなたの最高傑作は何ですか?」
と問われるとこう答えたそうな。

「次の作品です」






2017年4月5日水曜日

英語しゃべれない。でも英語でゲーム実況がしたい

最近僕はyoutubeでゲーム実況をしている。
まだ動画数もチャンネル登録者数も少ない。

まあとりあえず見てください。

ゲーム実況動画を作り続けていて、よく思うことがある。
「伸びねえ!なぜだ!」

ご覧になった方々ならわかるであろう。
そう、僕は圧倒的にしゃべりが下手なのである。
(しゃべりの練習を兼ねてのゲーム実況でもある...)
声も聞き取りにくいという。

まず普通にしゃべるところから直せという話ではあるが、
僕には野望がある。(あいあむ欲張りさん)

「日本だけじゃ足らんのです。世界に進出したいんです。」

でも実際のところ、日本語の動画の伸びには限界があると思う。
日本語をしゃべる人が日本人しかいないからだ。

「これ、英語で動画出したらもっと伸びるんちゃうん?」

そう考えた単純な僕は英語で街の説明をするみたいな動画を作ってしまった。


英語で話す自分の声をカメラに収めて初めてわかったことがあった。


...絶望的に話すの下手やん。

英語で話す文章を作っていたときから覚悟はしていたのだがここまでひどいとは思わなんだ。

英語の勉強は結構できる方ではあったと思っている。(多分
全盛期は大学受験前だったろう。

大学は人をダメにするもので、僕はどんどんクズ化していった。
(何があったかは語りません)
僕がクズ化すると共に僕の英語力もどんどんクズ化していった。

ここで勘違いしてはいけないのは、英語ができたのはあくまで受験勉強としての英語であってコミュニケーションとしての英語ができたわけではないということ。

読むことはできるのだが話すこと書くことはできない。(今は読むことも危うい)
大学入って留学生と話してからちっとも英語がしゃべれないことに気が付いたのであるよ。

英語学習において本来大事にすべきことってのは
受験のための英語ではなくて、人とのコミュニケーションツールとしての英語だろうに。

話す能力を養えない英語なんてただの日本語英語なのである。(適当


何はともあれ、英語に少しでも触れるってことを大事に英語の動画を出してゆきたい。
ちょっと引っかかる部分は、動画配信っていうのが双方向のコミュニケーションではなくて一方向的であるってとこですかね...。

まあ、どれぐらい上手くなるかとかとか
生温かく見守って欲しいものです。