『洲崎パラダイス 赤信号』 1956
監督
川島雄三
脚本
井出俊郎
出演
新珠三千代
三橋達也
戦後間もない陰鬱とした時代の話。
出てくる人は基本ダメ人間なんだけど
単純にダメ人間って言えない。
主人公の義治は後ろむきのダメ男って感じで、
蔦枝がいないと何にもできないっていう印象をうけるけど
橋の向こうの色町から救い出してくれたってところで
彼女にとって義治は救いの存在だったんだと。
義治にとって救いの存在である玉子と
カタギになろうとするとあるカップルの存在が
物語をより引き立てておりました。
なんとなくしょっぱい映画で
人物像というかなんか色々計算されててうまいなっていう話でした。
っていうかこの時代の作品たくさん観たら
Always 三丁目の夕日みたいなの観ても
なんだかなー、ってなるんじゃないかな・・・・・。
で、ちょっと気になることがあって
結構前に青森の恐山行った時に
川島雄三の石碑があった。
そこに「サヨナラだけが人生だ」
って書かれてあって
これって井伏鱒二訳でしょ。
それを寺山修司が「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」
って加えたんですね。
そんでなーんで川島雄三の石碑に「サヨナラだけが人生だ」
って書かれてあったのかなと思ったら
井伏鱒二のファンだったのねぇ~~
以下は『洲崎パラダイス 赤信号』のネタバレを含みます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちょっとラストが個人的に気に入らなくて
女将さんの旦那が殺されたあとで
蔦枝と義治が久しぶりに再会するんだけど
そこで終わらせるようにして
その様子を玉子が外から眺めてるっていう風に
してもいいんじゃないかなーとか
勝手に思いました。
何で最後義治が玉子じゃなくて蔦枝を選んだか、
っていったら女将さんの旦那が殺されてしまった、
ってのがあったのかもしれない。
だって玉子のほうがいいに決まってる。
って思うんだけど、好きって気持ちもあったのかねえ。。
っていう感じに複雑な気持ちになりました。
上手い映画です。
0 件のコメント:
コメントを投稿